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歴史の不思議

 人間を商品として扱った奴隷貿易


奴隷海岸アフリカに奴隷海岸という地名がある。

現在でいうトーゴ、ベナン、ナイジェリア西武の海岸地帯を指す。

ただし、この場所をこの地名にしたのはヨーロッパ人である。

 

アフリカの人がすすんでそんな忌まわしい名前にしたわけではない。

 

そしてこの地名こそが、かつて奴隷が商品として扱われていた時代があったことを物語っている。

この海岸から多くのアフリカ人奴隷が積み荷として船に乗せられて旅立ったのである。

 

アフリカには他に「黄金海岸」「象牙海岸」という地名もある。

それぞれ黄金、象牙が運び出された場所だったからだ。

奴隷も同じように輸出品だったのである。

 

奴隷貿易が行われていたのは、16世紀初頭、この地に最初のヨーロッパ人であるポルトガル人がやってきてから、19世紀に奴隷貿易が廃止されるまでのあいだである。

紅茶よーろっぱ<奴隷貿易が行われたきっかけ>

ではなぜ奴隷貿易が行われたのか?

その大きな理由のひとつは、ヨーロッパ人のティータイムである。

16世紀以降、イギリスなどのヨーロッパでは紅茶を飲む事が習慣としてひろがった。

その為に需要が伸びたのが「砂糖」だ。

砂糖の生産地である西インド諸島やブラジル北東部では、砂糖の大量生産の為に労働力が必要となった。

 

<奴隷貿易のながれ>

そこで目につけたのがアフリカの黒人だった。

ヨーロッパ人にとって黒人は神を信じない野蛮な動物であり、労働力として好都合だった。

そこでヨーロッパ人は、カナリア海流にのって船で西アフリカへ旧式の武器を運んだ。

その武器はアフリカ部族に渡された。

部族間では争いが多かったので、武器は喜ばれた。

ヨーロッパ人達はその代償として多くの黒人を得て、その黒人達を奴隷としたのだ。

奴隷達は船に乗せられ、今度は南赤道海流にのって西インド諸島やブラジルに向かい、そこでおろされて労働力となる。

そして今度は船に砂糖を積み込んで、メキシコ湾流と北大西洋海流にのってヨーロッパに戻るというわけだ。

 

このように、ヨーロッパ、西アフリカ、西インド諸島の3カ所を描くように貿易をしていたため、「三角貿易」と呼ばれた。

たしかにそれはヨーロッパ人には都合がよかった。

しかし黒人達からしてみれば、人間としての尊厳をまったく無視した非人道的な行為だったのだ。

 

<奴隷の悲惨な状況>

奴隷貿易むりやり港に連れてこられた黒人達は奴隷貯蔵庫に押し込まれ、体に焼き印を押された。

積み込まれる船も小さなもので、天井が自分の身長よりも低い船倉にぎゅうぎゅう詰めにされ、足には逃亡できないように鎖がつけられていた。

水も食事も満足に与えられず、船旅の途中で死ぬものが後を絶たなかった。

死ねばそのまま海に投げ捨てられる運命だった。

死人のみならず、病院も生きたまま投げ捨てられることもあった。

その文、奴隷商人達は保険金が支払われた。

奴隷には人間の尊厳などなかったのだ。

無事に到着しても、ただ苦役だけの日々が続く。

ろくな賃金も与えられずに重労働をさせられ、病気になればそのまま死んでいく。

まさに家畜以下の扱いを受けていたのである。

そのような犠牲の上に、ヨーロッパの文化は栄えていったのである。

 

こうして犠牲になった黒人の数は正確にはわかっていない。

1000万人とも2000万人とも言われている。

しかも奴隷として連れて行かれるのは働き盛りの男性が中心である。それはアフリカにとっては大きな損失であり、経済的、文化的な停滞の大きな原因となった。

現在でもアフリカに貧困国が多いのは、奴隷貿易が大きな原因のひとつである。

 

 

どの時代も国も、歴史の中では自分たちの「都合」という残虐行為が繰り返される。

今回の奴隷貿易での「都合」は、今もアフリカの人々の暮らしに大きな爪痕を残している。

 

 

 

 

参考文献:歴史ミステリー研究会「教科書には載せられない黒歴史」より

 
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